SNSやブログでの芝居の宣伝。報せる側でもあるし、報される側でもある。
多くの場合そこにはチケットフォームのリンクが記載されているのだが、そこに付記されている「〇〇扱い」、これについて疑問がある。
とか書くと、すわ「チケットノルマ/バック問題」についての苦言かと思われるかも知れないが、今回考えているのはそこではない。そこに関しては根が深淵過ぎて、考えるのを正直やめている昨今である。
「〇〇扱い」、コレは一体誰に何を伝えようとしているのだ?
個人窓口でのチケットの売上が報酬に繋がる。当然、売る側は自分を窓口としてチケットを売りたいし、買う側は応援する俳優/スタッフから買おうとする。
このシステムについては一般的なものであり、良くも悪くも現実として観客にも広く知られている。そして、知られているという前提でなければ「〇〇扱い」というシンプルな表記にはならないと思う。このシステムを知らなければ、この表現だけで「この窓口からチケットを買うと〇〇さんの利益になるのか」と理解するのは難しいだろう。システムを知らない人に向けた言葉にしては、あまりにも不親切だろう。
また、このシステムを知っている人間に向けたものだとすると別の疑問が生じる。当然その顧客は個人フォームがあることもノルマやバックの存在も知っているし、その俳優/スタッフのSNS・ブログならばその個人フォームへのリンクが記載されているに決まっている。ならば、わざわざ「〇〇扱い」と明記する必要がどこにあるのだろう。他人の利益=自分の不利益に繋がる別のフォームなんてそもそも載せないだろうに。
ではこのケースはどうだろう。もし、このシステムを知らない人がいたとして、この「〇〇扱い」という表記からシステムを読み取ったとする。その個人を応援したいと思うなら、当然そのフォームからチケットを購入するだろう。しかし他の人間を推していたら。「なるほど、そういうシステムか。なら別の△△さんから予約しよう」ということが起こりうるのではないだろうか。その場合、「〇〇扱い」の表記がなければ、なんの疑問も持たずにリンクを踏んでいただろう(まあこの例については一種の「騙し討ち」とも言えるので、それを防ぐために明記する、といつのなら一理はある)。宣伝効果としては、非常に疑問が残る。
何れにせよ、なんとも理解がし難い。ここで視点を変えてみる。
「〇〇扱い」という記載をすることでチケットノルマという「悪しき慣習」を喧伝することになる、という批判をときどき目にする。個人的には実際にそういうシステムである以上、顧客に隠すのも不誠実だろうと思うのだが、なるほどこの意見は示唆的かもしれない。
これは換言すれば、「〇〇扱い」と書くことでシステムの存在を暗に示す、という効果があると言えるのではないか?「ノルマがキツいから買って」「売らなきゃマズい」みたいなマイナスな言葉の宣伝効果には疑問が残るし、第一下品だ。しかし、どこかでそういった「必死さ」が、「頑張り」と評価されるのも事実であり、それが販売に繋がる。そう考えると、直接的な表現を避けつつ、システムの存在を理解している人に「臭わせる」表現として、「〇〇扱い」という言葉は絶妙だ。生々しくなく押し付けがましくもない。あくまでも「わたしの窓口です」と示すだけで、そこからは強制力は感じない。しかしその背景にチケットノルマ/バックという「報酬体系」が浮かび上がる。
もちろん、「〇〇扱い」と表記している人がこんなことを狙っているとは思えない。しかしよく見かける表現ゆえ、なにかしらのメリットがあると考えてもいいだろう。「〇〇扱い」のもつ、ちょうどいい"圧"が、無意識的に好まれているのではないだろうか。そういう意味では、非常に優れた表現なのかもしれない。
試してみよう。
『そして怒濤の伏線回収』
時:9.15-9.24
於:新宿シアター・ミラクル